福智院の仏像

本尊 地蔵菩薩像

(国)重要文化財
桧の寄木造りの上に漆を塗り重ね、その上に彩色が施されていました。右手に錫杖を執り、左手に宝珠を捧げ、右足を安座にした丈六(2.73m)の座像で、宜字座(1.60m)の上に、舟型の光背(5.05m)一ぱいに小形の化仏をつけた、千仏光背を背負っている。

台座からの総高は6.76mもあり、どっしりとした南都特有の鎌倉彫刻で、気魄に満ちた御本尊は慈相をたたえて鎮座されております。

千体仏舟型挙身光背で、二重円相部には、頂上に不空成就如来(釈迦と同体)、左右三躰つづ、六体の地蔵菩薩像(六地蔵)、
最下部左右に二体の冥官座像があり、諸定、諸地獄を決定する?魔王と太山王の二王で、周縁部の光背千体地蔵は、簡略化した造りであるが、びっしりと隙間を埋めるように並べられた化仏が迫力を倶なって圧倒されそうです。

仏像の光背に多数の化仏を表すことは、その仏の功徳や世界観を表すものとして、経本には説かれているが、それを造像に表現することは現存例としては少なく、地蔵尊としては、福智院の本尊が唯一であります。

光背の化仏は560体、六地蔵と本尊を入れると全部で567体であり、釈迦滅後、56億7千万年の後に下生すると云う弥勒の信仰に付合し、私達に大きなロマンを与えてくださいます。

本尊の地蔵菩薩坐像は、像高2.73mの大作で、威風堂々とし、
光背にも千体地蔵を表しています。

像内の墨書などにより、1203年に福智庄(現奈良市下狭川町付近)で造られ、1254年に当地に遷されたと考えられます。

1283年の「沙石集」にも霊験あらたかな「霊仏」と記されており
鎌倉時代の南都の代表的な地蔵像です。

興正菩薩(南北朝時代)

父は興福寺僧。はじめ醍醐寺などで真言学を修めたが、戒律を修行して衆生の利益をはかることを決心し、三十五歳の時に西大寺に住し、以後戒律の普及に尽力された。

人々の救済、殺生の禁断、伽藍の修造など、戒律の護持による滅罪生善の功徳を説き、真言律宗を樹立された。